お得な価格のヴィットの販売店大集合
がんの自然退縮〔31〕
バチカン医学委員会より奇跡と認められている治癒の症例があります。
1962年、ヴィットリ・ミッシェリという男性が、左臀部にできた大きな腫瘍のために、イタリアのヴェローナ陸軍病院で検査を受けました。それは悪性腫瘍であることが判明しましたが、手の施しようもないために、彼は家に帰されてしまったのです。そのまま放置していると、10ケ月後には腫瘍による圧迫で腰骨が溶けてはずれました。大腿骨が大きな腫瘍の上に浮いた状態となり、彼は立つことすらできなくなってしまいました。
最後の望みをかけて、彼は聖地ルルドを訪れました。ギブスに入ったままの状態で、泉の水を浴びたのです。
水に入るや否や、体中に熱感が走りました。そして水からあがると、新しいエネルギーが湧き出るのを感じたのです。その後、精神の高揚感が1か月程続いたあと、レントゲン写真を撮ると、腫瘍は縮小し、そのうち消失しました。
ヴィットリ・ミッシェリの場合、単なる熱感を感じたのではなく一種の熱性けいれんのようなものを体験したのではないかと思われます。熱性けいれんは小児の5%前後にみられるといわれますが、迷走神経の異常による反射性失神です。
確かめようもありませんが、私は、この現象に系統発生的に古い、ミエリン髄鞘をもたない背側迷走神経(副交感神経)の活性化が関係したように思えてなりません。
この神経はfreezing(凍り付き)と言って、草食動物が肉食動物の餌食になるときに活性化します。ヒトの場合は、津波等の天変地異に遭遇するとか、虐待されるとき。心臓、呼吸、筋肉などの身体機能が低下し、感情は麻痺し、感覚も不在となるのです。
それと腹側迷走神経複合体の活性化も同時に関与するのではないかと思われます。あるいはこちらだけかもしれません。
てんかんも似たようなものです。大脳の色々な部位で起こる過剰緊張がなぜ起こるのかは分からないので「突発性」といわれますが(脳腫瘍や脳の病変による場合は「症状性」あるいは「二次性」と名付けられます)、迷走神経が関与します。ペースメーカー様の植え込み型機械(迷走神経刺激装置)による間欠的な電気刺激が難治性てんかん発作の対処に用いられることはよく知られています。
要するに、腫瘍が消えた反応には興奮した迷走神経(副交感神経)から分泌されるアセチルコリンが関与したと考えられるのです。
Stimulation of vegal afferents regulates brain structures involved in epilepsyというタイトルをもつ論文にみられるように、求心性迷走神経の刺激が、てんかんに関与する脳の機能構造を制御することも報告されています。
南インドの聖者といわれたラマナ・マハルシはハイスクールの学生の頃, 火葬されることを想像し、自宅で痙攣をおこして意識不明となりました。
クリシュナムルティは25歳のとき、ロスアンゼルスから80マイルほど離れたオジャイ(インディアン語で<巣>を意味する)で神秘体験をします。マラリアに罹った時のような熱性痙攣を伴って(詳細は
”Krishnamurti: The Years of Awakening” by Mary Lutyens (Avon Books) のp.162~177をご覧ください)。
二人は迷走神経の活性化を介して覚醒したのです。
近代インドの聖者ラーマクリシュナは、喉に激しい痛みのある咽頭がんで死去しています。ラマナ・マハルシは夜間、家の外にまで響く大声をあげて苦しみました。お弟子さんたちは困ったそうです。それが続いたのち胃がんで亡くなっています。
聖フランチェスコは血を吐き、痛みとひどい苦しみの中で息絶えました。聖ベルナデッタは前述のルルドの泉を掘り当てましたが、自身の病気に奇跡は起きませんでした。最後は骨のガンか結核で亡くなっています。クリシュナムルティはすい臓がんでこの世を去りました。彼は病院でモルヒネの点滴を受けながら一人の人間としてこの世を去ったのです。
このように病気で亡くなった覚者や聖人は山ほどいます。中には聖人が罪人と同じ病気で死んでは困ると考える人々もいました。そこで、聖人が亡くなる解釈も山ほどあります。
解釈はともかく、「心がリラックスしていれば病気にならない」「病気になるのは心に問題があるためだ」など病気の原因をすべて心の問題に特定してしまうのは、正しい考え方とはいえないでしょう。覚者でも猛毒を飲めばやはりソクラテスのように肉体は毒の影響を受けて死ぬのです。
ラムダス(ハーバード大学を追われた心理学教授のティモシ―・レアリ―)に少し多めの量のLSDを与えられたヨガ行者はトリップしませんでしたが。
病気を心の問題だけに特定するのはカテゴリーエラーです。
しかし、前述したクリシュナムルティやラーマナ・マハールシにガンがあったとしたら、それは熱性けいれんによって消えていたのではないでしょうか。
ピカピカスピカヴィット
イスラム教では説明しきれないヴィットの謎
がんの自然退縮〔31〕
バチカン医学委員会より奇跡と認められている治癒の症例があります。
1962年、ヴィットリ・ミッシェリという男性が、左臀部にできた大きな腫瘍のために、イタリアのヴェローナ陸軍病院で検査を受けました。それは悪性腫瘍であることが判明しましたが、手の施しようもないために、彼は家に帰されてしまったのです。そのまま放置していると、10ケ月後には腫瘍による圧迫で腰骨が溶けてはずれました。大腿骨が大きな腫瘍の上に浮いた状態となり、彼は立つことすらできなくなってしまいました。
最後の望みをかけて、彼は聖地ルルドを訪れました。ギブスに入ったままの状態で、泉の水を浴びたのです。
水に入るや否や、体中に熱感が走りました。そして水からあがると、新しいエネルギーが湧き出るのを感じたのです。その後、精神の高揚感が1か月程続いたあと、レントゲン写真を撮ると、腫瘍は縮小し、そのうち消失しました。
ヴィットリ・ミッシェリの場合、単なる熱感を感じたのではなく一種の熱性けいれんのようなものを体験したのではないかと思われます。熱性けいれんは小児の5%前後にみられるといわれますが、迷走神経の異常による反射性失神です。
確かめようもありませんが、私は、この現象に系統発生的に古い、ミエリン髄鞘をもたない背側迷走神経(副交感神経)の活性化が関係したように思えてなりません。
この神経はfreezing(凍り付き)と言って、草食動物が肉食動物の餌食になるときに活性化します。ヒトの場合は、津波等の天変地異に遭遇するとか、虐待されるとき。心臓、呼吸、筋肉などの身体機能が低下し、感情は麻痺し、感覚も不在となるのです。
それと腹側迷走神経複合体の活性化も同時に関与するのではないかと思われます。あるいはこちらだけかもしれません。
てんかんも似たようなものです。大脳の色々な部位で起こる過剰緊張がなぜ起こるのかは分からないので「突発性」といわれますが(脳腫瘍や脳の病変による場合は「症状性」あるいは「二次性」と名付けられます)、迷走神経が関与します。ペースメーカー様の植え込み型機械(迷走神経刺激装置)による間欠的な電気刺激が難治性てんかん発作の対処に用いられることはよく知られています。
要するに、腫瘍が消えた反応には興奮した迷走神経(副交感神経)から分泌されるアセチルコリンが関与したと考えられるのです。
Stimulation of vegal afferents regulates brain structures involved in epilepsyというタイトルをもつ論文にみられるように、求心性迷走神経の刺激が、てんかんに関与する脳の機能構造を制御することも報告されています。
南インドの聖者といわれたラマナ・マハルシはハイスクールの学生の頃, 火葬されることを想像し、自宅で痙攣をおこして意識不明となりました。
クリシュナムルティは25歳のとき、ロスアンゼルスから80マイルほど離れたオジャイ(インディアン語で<巣>を意味する)で神秘体験をします。マラリアに罹った時のような熱性痙攣を伴って(詳細は
”Krishnamurti: The Years of Awakening” by Mary Lutyens (Avon Books) のp.162~177をご覧ください)。
二人は迷走神経の活性化を介して覚醒したのです。
近代インドの聖者ラーマクリシュナは、喉に激しい痛みのある咽頭がんで死去しています。ラマナ・マハルシは夜間、家の外にまで響く大声をあげて苦しみました。お弟子さんたちは困ったそうです。それが続いたのち胃がんで亡くなっています。
聖フランチェスコは血を吐き、痛みとひどい苦しみの中で息絶えました。聖ベルナデッタは前述のルルドの泉を掘り当てましたが、自身の病気に奇跡は起きませんでした。最後は骨のガンか結核で亡くなっています。クリシュナムルティはすい臓がんでこの世を去りました。彼は病院でモルヒネの点滴を受けながら一人の人間としてこの世を去ったのです。
このように病気で亡くなった覚者や聖人は山ほどいます。中には聖人が罪人と同じ病気で死んでは困ると考える人々もいました。そこで、聖人が亡くなる解釈も山ほどあります。
解釈はともかく、「心がリラックスしていれば病気にならない」「病気になるのは心に問題があるためだ」など病気の原因をすべて心の問題に特定してしまうのは、正しい考え方とはいえないでしょう。覚者でも猛毒を飲めばやはりソクラテスのように肉体は毒の影響を受けて死ぬのです。
ラムダス(ハーバード大学を追われた心理学教授のティモシ―・レアリ―)に少し多めの量のLSDを与えられたヨガ行者はトリップしませんでしたが。
病気を心の問題だけに特定するのはカテゴリーエラーです。
しかし、前述したクリシュナムルティやラーマナ・マハールシにガンがあったとしたら、それは熱性けいれんによって消えていたのではないでしょうか。
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先日、NHKのチコちゃんで、
大人がだじゃれを言うのは、前頭葉のブレーキが効かなくなるから、と言っていました。
なに!
うーむ。確かにそんな気もする・・・。
50歳、60歳くらいになると、12歳程度にまで性能が低下するそうです。
何の性能って、それは、「理性のブレーキ」だそうです。
そうか。
だとしたらそれは、だじゃれ以外でもだな。
昔は、がみがみ親父、という存在がありました。
大切な存在とも言えるけど、うっかりするとクレーマーです。
連合軍が、ノルマンディに上陸したとき、
それを見ていた戦車の兵士が、
「ふん、もう勝ったと思っているな。」といいます。
それを聞いた戦車長は、
「そうらしい、では教育してやるか。」
と言ったとか。
これは、原作の言語に近く訳すると、
「彼らはすでに戦争に勝ったと思っているのでしょうか?」
「そうらしい、でもそれは間違いだ」
になるそうです。(詳しくは、wikipediaでヴィットマンを検索)
日本人の翻訳家が、「教育してやる」という言葉を使いました。
これって、日本特有の感覚かも。
で、おそらく、そういう感覚の人は沢山いるはず。
新入社員や、自分より年の若い人に対して、
「おれが教育してやる」
「おれは、憎まれ役をやってるんだ」
と明言する「おっさん」は、よくいます。
どこから目線ですか、と思います。
こういう人は、おそらく、前頭葉のブレーキが緩い人かも。
でも、僕らは全員、こうなる可能性を持っています。
だからこそ、年齢を重ねた人ほど、誰かにアドバイスをするときには、気を付けるべきかも。
「それ、本当に必要なアドバイスか?ただ自分の不愉快をぶつけてるだけじゃないの?」
自分の「普通」や「常識」を一般論として押しつけてくる人は、
たいてい、自分の不愉快をぶつけてるだけです。
こういう人の特徴は、「いつも言ってることが違う」です。
ちぐはぐで、一貫しない主張をしてきます。
そういう人に出会ってしまったときは、
「ああ、この人は、前頭葉のブレーキ壊れてるんだ。」
「言いたいこと言っちゃうタイプの人なんだ。」
と思って、距離を置くようにした方がいいかも。
前頭葉ブレーキ。
整備点検を怠らないようにしよう。
倍力無しのドラムブレーキだったりして。
(もう、そんな車運転したことある人は、あんまりいないかも。)
水たまり通過したら大変だ。
ノンストップだじゃれ。
そうなったら、そっと距離を置いてください。
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