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自滅する笑い声
義弟
(3)
~チャンミン15歳~
「ユ...ノ...」
人差し指に触れる唇の動きを楽しんでいた。
「ユノ...」
今度は、小声で発音してみて、「ノ」のところで舌が上顎に触れる感触や、音の響きを楽しんだ。
「ユ...ノ...」
制服のままベッドにダイブした僕は、かれこれ15分以上、あの人の名前を声にのせては喜ぶ遊びに夢中になっていた。
ユノ...。
呼び捨てで呼んで、生意気だって思われよう。
「はあぁぁ」
仰向けになり、両手で自分の顔に触れてみた。
「『絵のモデルをやってくれないか?』だって...さ」
『チャンミン君はいい顔をしている。
君を描いてみたい』
僕がこうもとろけているのは、義兄さんに近づけるチャンスが到来したからだ。
近づけるチャンスなんて、実はあり過ぎるほどあった。
僕にはいくらでも、義兄さんに近づく口実はあるのだ。
だって、僕の姉さんの『夫』なのだ。
妻の『弟』である僕は、義兄さんの家に遊びに行くことくらい普通のことだ。
でも、自分の方からは、絶対に接近しない。
声をかけるのは、義兄さんの方だ、と決めていた。
姉さんが婚約者を紹介するからと自宅に義兄さんを連れてきた日、階段ホールの上から玄関を見下ろしていた僕は、初めて彼を見た。
「この人に決めた」って思った。
・
姉さんが婚約していたことすら知らなかった。
姉さんとは、子供の頃は仲のよい姉弟だったが、今はいいとは言えない。
年が10歳以上離れている姉弟なんて、こんなものじゃないかな。
両親とも、必要最低限の言葉しか交わさない。
ぐれているのでもない、暴言を吐くこともない、学校にはちゃんと行っていた。
(思春期特有のものなのかな)中学に上がってから、オフィシャルな僕として始終不機嫌そうな面構えを心がけるようになった。
最初は努力が必要だったのが、仏頂面でいるのが常となった。
上目づかいで空を睨んでいれば、大抵の者は近づいてこない。
「なぜ?」と問われても、「分からない」としか答えられない。
何か、凄惨な過去があったわけでもない。
僕の中の、ひねくれて天邪鬼な性質が、10代になって前面に出てきたのだと思う。
不貞腐れた表情の下、僕は他人を観察する目で見、「こいつはくだらない」、「頭が悪そうな奴だ」、「こいつはまあまあだな」とジャッジしては楽しんでいた。
多分...自分はとても優れた何かで、自分以外の者は皆、劣った奴らばかりだと、小馬鹿にしていたのだろうな。
こうして一人きりになった時だけ仮面を脱いで、強張った頬をほぐして、初心な自分を解放する。
緩みきった顔は誰にも見せられない。
何がしたいのか、どっちが本当なのか僕にはわからない。
・
階段ホールから見下ろした時、義兄さんをひと目見て、「天使みたいだ」と思った。
ダークカラーのスーツを着ていたのに、真っ白な衣を身にまとった「天使」に見えた。
美人、とは義兄さんみたいな人を言うのだろうな。
姉さんみたいな凡人には勿体ない。
心中渦巻くダークな考えを整理したくて、階下から僕を呼ぶ姉さんの声を無視して自室にこもった。
「ごめんね、ユノ。
チャンミンは難しい子だから」
難しく見せていることを、どうして分かんないんだろう?
背中を丸めて横たわり、僕はくつくつと笑っていた。
決めた、あの人にしよう。
初めて義兄さんから声をかけられたとき、彼の眼差しから媚の色を見つけてしまって、心底幻滅した。
僕に好かれようとしている。
幻滅したけど、力関係は僕の方が優位であることが明らかになって、僕は満足だった。
やり過ぎなくらい、嫌悪感丸出しの視線を義兄さんに注ぎ続けた。
義兄さんはいずれ、僕のことを無視しきれなくなる。
接近をはかろうとしてくるはずだ。
結婚式からひと月経った今日、義兄さんから僕に依頼があった。
「絵のモデルになってくれないか?」と
。
僕は胡散臭そうな表情を保ったまま、「いくらです?」と頷く代わりに質問した。
義兄さんは一瞬、ぎょっとした風だったけど、すぐに笑顔を取り戻して「いくら欲しい?」と逆に訊いてきた。
その質問の答えは用意していなかったから、「ヌードですか?高いですよ」と答えた。
義兄さんは僕の答えにきょとんとした後、「あーはっはっは」と声高らかに笑った。
義兄さんの破顔と大きな笑い声に驚いてしまって、僕は黙り込むしかなかった。
「脱いでくれるんだ?
大歓迎だよ」
面白そうに僕を見下ろす義兄さん。
悔しい。
義兄さんは僕より背が高い。
西欧の人みたいに、全身のバランスが完璧だ。
悔しい。
これまでスーツ姿しか目にしたことがなかったから、Tシャツの上にジャケットを羽織り、チノパンといったラフな格好の義兄さんが新鮮だった。
手くるぶしに絵の具の青がこびりついていた。
義兄さんは画家なのだ。
「この人だ」と決めた理由。
義兄さんが完璧に美しいからだ。
僕以上に。
自分の容姿が抜群に優れていることを、10歳の時に自覚した。
ただの子供だと見下していた年上たちが、僕が成長するにつれ目の色を変えだしたのがその頃。
鏡に映る自分を飽きもせず、顔を右に左にと傾けて、とくと観察した。
自分に見惚れていたのではなく、いい道具を手に入れた、これをうまく使えばいい暇つぶしができると嬉しくなったのだ。
僕の造作は完璧なのに、それを上回る人物に出会ってしまい、しかも15歳以上年上の大人だった。
悔しい、でも近づきたい。
僕の方が上だと、思い知らせたい。
義兄さんをもっと間近で見て、触ってみたい。
笑顔は既に見た。
驚いた顔、困った顔、がっかりした顔...。
それから、苦痛に顔をしかめ、嘆き悲しんで涙を流す義兄さん。
あの綺麗な顔が、どれだけ醜くゆがむのかを確かめてみたい。
その欲求は苦しいほど強く、義兄さんを睨みつけながら、彼が近づいてくるのを待っていたのだ。
ゆるみきった顔で義兄さんの名前を舌で転がす僕の中に、どす黒い嫉妬の念も存在していた。
(つづく)
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あーー可愛いいっ
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